卓越した技を尽くした美の極み

ヴェネチアン・グラス美術館

卓越した技を尽くした美の極み、繊細優美な輝きを心ゆくまでお楽しみください。
黄金期である15~16世紀に生み出されたヴェネチアン・グラスを中心に、
紀元前の古代ガラス、19世紀サルヴィアーティ工房などによりリヴァイバルを遂げた装飾ガラスや、
20世紀に登場したガラスアートなど、約1,000点の収蔵作品の中から、企画に合わせて厳選した約100点を常時ご覧いただけます。

卓越した技を尽くした美の極み

ヴェネチアン・グラス美術館

卓越した技を尽くした美の極み、繊細優美な輝きを心ゆくまでお楽しみください。
黄金期である15~16世紀に生み出されたヴェネチアン・グラスを中心に、
紀元前の古代ガラス、19世紀サルヴィアーティ工房などによりリヴァイバルを遂げた装飾ガラスや、
20世紀に登場したガラスアートなど、約1,000点の収蔵作品の中から、企画に合わせて厳選した約100点を常時ご覧いただけます。

卓越した技を尽くした美の極み

ヴェネチアン・グラス美術館

卓越した技を尽くした美の極み、繊細優美な輝きを心ゆくまでお楽しみください。
黄金期である15~16世紀に生み出されたヴェネチアン・グラスを中心に、
紀元前の古代ガラス、19世紀サルヴィアーティ工房などによりリヴァイバルを遂げた装飾ガラスや、
20世紀に登場したガラスアートなど、約1,000点の収蔵作品の中から、企画に合わせて厳選した約100点を常時ご覧いただけます。

卓越した技を尽くした美の極み

ヴェネチアン・グラス美術館

卓越した技を尽くした美の極み、繊細優美な輝きを心ゆくまでお楽しみください。
黄金期である15~16世紀に生み出されたヴェネチアン・グラスを中心に、
紀元前の古代ガラス、19世紀サルヴィアーティ工房などによりリヴァイバルを遂げた装飾ガラスや、
20世紀に登場したガラスアートなど、約1,000点の収蔵作品の中から、企画に合わせて厳選した約100点を常時ご覧いただけます。

ヴェネチアン・グラスの歴史

古代ローマ時代から今日に至るまで、ムラーノ島のヴェネチアン・グラスはヴェネチアの歴史とともにあり、またムラーノ島の人々は、ヴェネチアン・グラスと運命を共にしてきました。

古代ローマ帝国時代

ヴェネチアン・グラスの歴史は、古代ローマ帝国(前1~5世紀)のローマン・グラスから始まるといわれます。
革命的発明の「吹きガラス技法」により、当時すでにイタリア半島全域には多くのガラス工房が作られ、その技術や製品は全世界に広まりますが、やがて西ローマ帝国の崩壊(476年)とともに、急速に衰えます。

リアルト島

8世紀に入ると、当時のヴェネチア共和国の中心はリアルト島へ移動し、島内各地での教会や聖堂の建設ラッシュに伴い、ガラス工房も多くこの島へ移ったとされています。

ガラス業界の活況

1078年にはサン・マルコ大聖堂の再建が始まり、全壁面にガラス・モザイクが施されたり、当時の文献には、ガラス製造の慣例と規則に違反した罪で29人のガラス工人に罰金刑が課されたことの記載もあり、ガラス業界の活況が想像される時代です。

政府の保護と管理

13世紀に入ると、1268年にヴェネチア・ガラス同業組合が結成されたり、シリアのガラス最大の産地アンティオキアとのガラス素材原料の輸入契約、燃料の管理合理化のための薪の政府直轄統制、夏期操業の禁止など、政府の積極的介入が強化されます。
そして1291年には、ヴェネチア共和国政府の保護の下、『ガラス製造業者および工人・助手、家族等のすべてをムラーノ島に集中的に移住させ、島外に脱出する者には死罪を課す』という厳罰体制での管理が始まり、その後のヴェネチアン・グラスは、ムラーノ島を中心として発展していくことになります。

ヴェネチアン・グラスの最盛期

13~14世紀には、特にエナメル彩色の技法とデザインなどに、ビザンチンやイスラムなどの影響を強く受けながら発展し、15世紀に入ると、イタリア・ルネサンスを背景にさらに円熟します。
16世紀後半には、ダイヤモンドポイント彫り、レース・グラス、クリスタル・グラス、アイス・クラック・グラス、マーブル・グラスなどの、繊細で華麗な新しい技法が続々と生み出され、いろいろな形態や機能のガラス作品が造り出され、ヴェネチアン・グラスは最盛期を迎えます。

苦難の時代

18世紀に入るとヨーロッパでは新しい産業主義が興り、各国は自国産業保護のために輸入品の高率関税化を始め、ガラス生産国では輸出の激減、ガラス工場の倒産など、ムラーノ島もその例外ではありませんでした。
ムラーノ島ではこの苦境を乗り越えるために、より細密なモザイク製品、教会の内装や装身具の製作、アフリカや東南アジアへの輸出など、あらゆる努力がなされます。
しかし、1797年にはヴェネチア共和国解体により、政府のガラス産業庇護の時代が終焉、10年後の1806年にはムラーノ島で500年続いた由緒あるガラス職人組合が解散を余儀なくされます。

ヴェネチアン・グラスの近代化

途方に暮れるムラーノ島のガラス産業でしたが、新しい時代が動き始めます。19世紀を迎え近代化の道を踏み出していた時代は、新しい産業や教育の舞台として、美術館・博物館・資料館作りのブームを生み出します。
博物館などの建設には不足する古い資料を必要とし、ムラーノ島の名工たちは、古代作品の復刻作りに活路を見い出します。
その後、他国のガラス産業には真似のできない色ガラスを基本としたガラス・モザイク技術による古い教会壁画の修復、インテリア部門などの新しいジャンルの開拓など、苦難の時代からの新たな出発が始まりました。

ヴェネチアン・グラスの歴史

古代ローマ時代から今日に至るまで、ムラーノ島のヴェネチアン・グラスはヴェネチアの歴史とともにあり、またムラーノ島の人々は、ヴェネチアン・グラスと運命を共にしてきました。

古代ローマ帝国時代

ヴェネチアン・グラスの歴史は、古代ローマ帝国(前1~5世紀)のローマン・グラスから始まるといわれます。
革命的発明の「吹きガラス技法」により、当時すでにイタリア半島全域には多くのガラス工房が作られ、その技術や製品は全世界に広まりますが、やがて西ローマ帝国の崩壊(476年)とともに、急速に衰えます。

リアルト島

8世紀に入ると、当時のヴェネチア共和国の中心はリアルト島へ移動し、島内各地での教会や聖堂の建設ラッシュに伴い、ガラス工房も多くこの島へ移ったとされています。

ガラス業界の活況

1078年にはサン・マルコ大聖堂の再建が始まり、全壁面にガラス・モザイクが施されたり、当時の文献には、ガラス製造の慣例と規則に違反した罪で29人のガラス工人に罰金刑が課されたことの記載もあり、ガラス業界の活況が想像される時代です。

政府の保護と管理

13世紀に入ると、1268年にヴェネチア・ガラス同業組合が結成されたり、シリアのガラス最大の産地アンティオキアとのガラス素材原料の輸入契約、燃料の管理合理化のための薪の政府直轄統制、夏期操業の禁止など、政府の積極的介入が強化されます。
そして1291年には、ヴェネチア共和国政府の保護の下、『ガラス製造業者および工人・助手、家族等のすべてをムラーノ島に集中的に移住させ、島外に脱出する者には死罪を課す』という厳罰体制での管理が始まり、その後のヴェネチアン・グラスは、ムラーノ島を中心として発展していくことになります。

ヴェネチアン・グラスの最盛期

13~14世紀には、特にエナメル彩色の技法とデザインなどに、ビザンチンやイスラムなどの影響を強く受けながら発展し、15世紀に入ると、イタリア・ルネサンスを背景にさらに円熟します。
16世紀後半には、ダイヤモンドポイント彫り、レース・グラス、クリスタル・グラス、アイス・クラック・グラス、マーブル・グラスなどの、繊細で華麗な新しい技法が続々と生み出され、いろいろな形態や機能のガラス作品が造り出され、ヴェネチアン・グラスは最盛期を迎えます。

苦難の時代

18世紀に入るとヨーロッパでは新しい産業主義が興り、各国は自国産業保護のために輸入品の高率関税化を始め、ガラス生産国では輸出の激減、ガラス工場の倒産など、ムラーノ島もその例外ではありませんでした。
ムラーノ島ではこの苦境を乗り越えるために、より細密なモザイク製品、教会の内装や装身具の製作、アフリカや東南アジアへの輸出など、あらゆる努力がなされます。
しかし、1797年にはヴェネチア共和国解体により、政府のガラス産業庇護の時代が終焉、10年後の1806年にはムラーノ島で500年続いた由緒あるガラス職人組合が解散を余儀なくされます。

ヴェネチアン・グラスの近代化

途方に暮れるムラーノ島のガラス産業でしたが、新しい時代が動き始めます。19世紀を迎え近代化の道を踏み出していた時代は、新しい産業や教育の舞台として、美術館・博物館・資料館作りのブームを生み出します。
博物館などの建設には不足する古い資料を必要とし、ムラーノ島の名工たちは、古代作品の復刻作りに活路を見い出します。
その後、他国のガラス産業には真似のできない色ガラスを基本としたガラス・モザイク技術による古い教会壁画の修復、インテリア部門などの新しいジャンルの開拓など、苦難の時代からの新たな出発が始まりました。

技法

モザイク・グラス(ミルフィオリ・グラス)

紀元前15世紀頃のメソポタミア地方で既に制作され、紀元前2世紀から紀元後1世紀頃の古代ローマ帝国で発達する。
その後一時衰退するも、19世紀ヴェネチアのガラス職人によって復元された技法。
モザイク・グラスの材料になる多様な模様のガラス片は、何層にもガラスを被せたガラス種を細く引き伸ばしてガラス棒に形成した後、水平にカットして作る。まるでガラス器に花が咲いたかのように見えることから、イタリア語で「千の花」を意味する「ミルフィオリ」とも呼ばれる。

レース・グラス

透明なガラスと乳白色等の色ガラスを組み合わせた細線でレース編みのような模様を作り出したガラス器の総称を指す。
紀元前3世紀以後のイタリアやアレキサンドリアのガラス器にも同様の技法の作例が存在するが、それを発達・洗練させたのは16世紀半ばのヴェネチアのガラス職人である。
繊細で精緻なレース・グラスは以後ヴェネチアン・グラスの代名詞ともなった。
イタリアではレース・グラスを「フィリグラーナ」と呼び、乳白色ガラスが構成している模様の違いによって、螺旋状模様の「ア・レトルティ」、格子状模様の「ア・レティチェッロ」、平行線状の縞模様の「ア・フィリ」の三種類に大別される。

マーブル・グラス

異色のガラスを熔かし合わせて練り上げた素地で成形し、表面に大理石や玉髄、瑪瑙などの天然の貴石の模様を表現したグラス。
マーブル・グラスの中でも15世紀後半のヴェネチアで考案され16~17世紀に流行した、素地に銀イオンを含んでいるガラスは、光が透過するとガラスの色が赤く変化することから「カルチェドーニオ」(イタリア語の紅玉髄)と呼ばれている。
17世紀後半から18世紀にかけては、金属や金属化合物をガラス内で結晶にしたアヴェンチュリン・グラスを散りばめた作品も制作された。

技法

モザイク・グラス(ミルフィオリ・グラス)

紀元前15世紀頃のメソポタミア地方で既に制作され、紀元前2世紀から紀元後1世紀頃の古代ローマ帝国で発達する。
その後一時衰退するも、19世紀ヴェネチアのガラス職人によって復元された技法。
モザイク・グラスの材料になる多様な模様のガラス片は、何層にもガラスを被せたガラス種を細く引き伸ばしてガラス棒に形成した後、水平にカットして作る。まるでガラス器に花が咲いたかのように見えることから、イタリア語で「千の花」を意味する「ミルフィオリ」とも呼ばれる。

レース・グラス

透明なガラスと乳白色等の色ガラスを組み合わせた細線でレース編みのような模様を作り出したガラス器の総称を指す。
紀元前3世紀以後のイタリアやアレキサンドリアのガラス器にも同様の技法の作例が存在するが、それを発達・洗練させたのは16世紀半ばのヴェネチアのガラス職人である。
繊細で精緻なレース・グラスは以後ヴェネチアン・グラスの代名詞ともなった。
イタリアではレース・グラスを「フィリグラーナ」と呼び、乳白色ガラスが構成している模様の違いによって、螺旋状模様の「ア・レトルティ」、格子状模様の「ア・レティチェッロ」、平行線状の縞模様の「ア・フィリ」の三種類に大別される。

マーブル・グラス

異色のガラスを熔かし合わせて練り上げた素地で成形し、表面に大理石や玉髄、瑪瑙などの天然の貴石の模様を表現したグラス。
マーブル・グラスの中でも15世紀後半のヴェネチアで考案され16~17世紀に流行した、素地に銀イオンを含んでいるガラスは、光が透過するとガラスの色が赤く変化することから「カルチェドーニオ」(イタリア語の紅玉髄)と呼ばれている。
17世紀後半から18世紀にかけては、金属や金属化合物をガラス内で結晶にしたアヴェンチュリン・グラスを散りばめた作品も制作された。

主要作品

主要作品

美術館:カルーセル01:1枚目

点彩花文蓋付ゴブレット

1500年頃 ヴェネチア
ヴェネチアン・グラスの黄金時代に制作された作品のなかで、名品と讃えられた作品。イスラムの華といわれる点彩文様とビザンチン様式の器形の醸し出す独特の雰囲気は、東西文化交流の要所として繁栄したヴェネチアをもっとも象徴的に表現しています。
美術館:カルーセル01:2枚目

レース・グラス蓋付ゴブレット

16世紀末~17世紀初 ヴェネチア
15~16世紀、世界に名を馳せ、ヨーロッパ貴族の憧れの的となっていたヴェネチア特産のレース。
そのレース文様を無色透明なガラスの中に封じ込められないものかと、ムラーノ島のガラス職人たちが技巧を尽くして完成させ、門外不出の秘法として守られることになったレース・グラスで作られた逸品です。
美術館:カルーセル01:3枚目

花装飾脚オパールセント・グラス・ゴブレット

1880年頃 ヴェネチア サルヴィアーティ工房
デザイン:ジュゼッペ・バロヴィエール
ヴェネチアン・グラスの伝統を踏襲しつつ、新しい時代に合ったデザインを取り入れたサルヴィアーティ工房によって制作された大型のゴブレット。
青みをおびた半透明乳白色のオパールセント・グラスを使い、幻想的な美しさをもつ作品に仕上げられています。
美術館:カルーセル01:4枚目

風にそよぐグラス

1895年 ヴェネチア アルティスティ・バロヴィエール工房
ジュゼッペ・バロヴィエール制作
名工ジュゼッペ・バロヴィエールによって実験的に作られたグラスで、19世紀末にヨーロッパで大流行した「アール・ヌーヴォー様式」を採り入られた作品です。
植物の茎をイメージした細くて長い脚部の上に頭の大きな坏身が熔着され、わずかな風にも揺れ動きます。
1895年に開催された第1回ヴェネチア・ビエンナーレと共に開催された展覧会に出品され、ガラス工芸の常識を破る驚異の技術を駆使した奇跡のグラスとして、大きな注目を集めました。
美術館:カルーセル01:5枚目

ミルフィオリ・グラス・ランプ

1910年頃 ヴェネチア フラテッリ・トーゾ工房
古代のモザイク・グラスの技法を応用して作られたランプ。
一面に花が敷きつけられたかのような模様から、イタリア語で千の花を意味する「ミルフィオリ」とも呼ばれています。
この作品は、花柄のガラス片を一枚の板状に熔着した後、小量のガラス種に巻きとって、ヴェネチアン・グラスならではの宙吹き技法によって成形されています。

現代ガラス美術館

ガラスの無限の可能性を発見

20世紀に入り、新しい生命を吹き込まれた斬新な現代ガラスアート作品。ヴェネチアのガラス彫刻家 リヴィオ・セグーゾと、アメリカ合衆国のガラスアーティスト デイル・チフーリの作品を展示。ガラスの無限の可能性をご覧ください。

現代ガラス美術館

ガラスの無限の可能性を発見

20世紀に入り、新しい生命を吹き込まれた斬新な現代ガラスアート作品。ヴェネチアのガラス彫刻家 リヴィオ・セグーゾと、アメリカ合衆国のガラスアーティスト デイル・チフーリの作品を展示。ガラスの無限の可能性をご覧ください。

作家

Livio Seguso

リヴィオ・セグーゾ

ヴェネチア生まれ。少年時代からガラスという素材がもつ魅力に強く惹かれ、叔父で世界的に活躍したガラスの巨匠アルフレッド・バルビーニのもとで、ヴェネチアン・グラスの伝統的な技術を習得した。
20歳にして吹きガラスのマエストロとなったセグーゾは、ガラス彫刻作品を研究し、無色透明なガラスの美しさを最大限に引き出す造形と空間、そして光が調和する作品を制作している。
1970年代末頃から洗練された円形や楕円形を活かした独自のスタイルを確立。1980年代には一度制作した円形ガラスをいくつかに切断し、元の形とは異なる形体に再構築するという新たな試みも行ってきた。
現在もガラスを金属や大理石、木材などの異素材と組み合わせ、透き通るガラスの美しさと調和した、彼の詩情豊かな内面性を感じさせる作品を制作している。

Dale Chihuly

デイル・チフーリ

ワシントン大学でインテリア・デザインを学んでいるときにガラスに出会う。
その可能性に魅了され1965年にウィスコンシン大学に進み、スタジオ・グラス運動の提唱者、ハーヴィー・K・リトルトンに師事。1968年にはヴェネチアのムラーノ島に留学、ヴェニーニ工房でヴェネチアン・グラスの伝統と、チームを組んで作品を制作するスタイルに強い影響を受けた。
後にムラーノ島への留学経験などを基に、1971年ワシントン州にガラス教育施設ピルチャック・グラス・スクールを共同設立。世界中のガラス作家たちの研鑽や情報交換の場として今もガラス界の発展に寄与している。
類まれな発想力と色彩、造形感覚を活かした「マキア」(1981年~)、「ペルシャン」(1986年~)、「ヴェネチアン」(1988年~)などの躍動感と生命力あふれるシリーズ作品を発表。「アメリカ合衆国人間国宝賞」(1992年)をはじめとする多数の賞を受賞し、1996年にヴェネチアで開かれた「現代ガラス造形作家国際展覧会」に招待作家として出展、2012年にはシアトル・センターに、庭園と作品が響き合う「チフーリ・ガーデン&グラス」がオープンするなど、精力的に活動している。

現代ガラス美術館

ガラスの無限の可能性を発見

20世紀に入り、新しい生命を吹き込まれた斬新な現代ガラスアート作品。ヴェネチアのガラス彫刻家 リヴィオ・セグーゾと、アメリカ合衆国のガラスアーティスト デイル・チフーリの作品を展示。ガラスの無限の可能性をご覧ください。

現代ガラス美術館

ガラスの無限の可能性を発見

20世紀に入り、新しい生命を吹き込まれた斬新な現代ガラスアート作品。ヴェネチアのガラス彫刻家 リヴィオ・セグーゾと、アメリカ合衆国のガラスアーティスト デイル・チフーリの作品を展示。ガラスの無限の可能性をご覧ください。

作家

Livio Seguso

リヴィオ・セグーゾ

ヴェネチア生まれ。少年時代からガラスという素材がもつ魅力に強く惹かれ、叔父で世界的に活躍したガラスの巨匠アルフレッド・バルビーニのもとで、ヴェネチアン・グラスの伝統的な技術を習得した。
20歳にして吹きガラスのマエストロとなったセグーゾは、ガラス彫刻作品を研究し、無色透明なガラスの美しさを最大限に引き出す造形と空間、そして光が調和する作品を制作している。
1970年代末頃から洗練された円形や楕円形を活かした独自のスタイルを確立。1980年代には一度制作した円形ガラスをいくつかに切断し、元の形とは異なる形体に再構築するという新たな試みも行ってきた。
現在もガラスを金属や大理石、木材などの異素材と組み合わせ、透き通るガラスの美しさと調和した、彼の詩情豊かな内面性を感じさせる作品を制作している。

Dale Chihuly

デイル・チフーリ

ワシントン大学でインテリア・デザインを学んでいるときにガラスに出会う。
その可能性に魅了され1965年にウィスコンシン大学に進み、スタジオ・グラス運動の提唱者、ハーヴィー・K・リトルトンに師事。1968年にはヴェネチアのムラーノ島に留学、ヴェニーニ工房でヴェネチアン・グラスの伝統と、チームを組んで作品を制作するスタイルに強い影響を受けた。
後にムラーノ島への留学経験などを基に、1971年ワシントン州にガラス教育施設ピルチャック・グラス・スクールを共同設立。世界中のガラス作家たちの研鑽や情報交換の場として今もガラス界の発展に寄与している。
類まれな発想力と色彩、造形感覚を活かした「マキア」(1981年~)、「ペルシャン」(1986年~)、「ヴェネチアン」(1988年~)などの躍動感と生命力あふれるシリーズ作品を発表。「アメリカ合衆国人間国宝賞」(1992年)をはじめとする多数の賞を受賞し、1996年にヴェネチアで開かれた「現代ガラス造形作家国際展覧会」に招待作家として出展、2012年にはシアトル・センターに、庭園と作品が響き合う「チフーリ・ガーデン&グラス」がオープンするなど、精力的に活動している。

主要作品

主要作品

美術館:カルーセル02:1枚目

ソスペンシオーネ

1980年 ヴェネチア
リヴィオ・セグーゾ
3枚のガラスがバランスよく1本のワイヤーで吊され、空中に浮かんでいるかような作品。
気泡を含んだ3つのガラスに前後から羽のようなガラスを掛けることで、周りの曲線が重なり合い、空間の広がりを見せています。
美術館:カルーセル02:2枚目

LE TRE GRAZIE

1996年 ヴェネチア
リヴィオ・セグーゾ
球体内部の三つの気泡は、見る角度で光によって変化する虹色の輝きを放っています。
この作品には、純粋さや女性の優美さに対する作者の賛美の気持ちが込められています。
美術館:カルーセル02:3枚目

マキア

1981年~ アメリカ
デイル・チフーリ
「マキア」とはイタリア語で斑点のあるという意味を持ちます。
このシリーズはアメリカのシアトルにあるチフーリのスタジオに揃っている色ガラス棒300種を使って作品を制作するというアイデアから始まりました。
カラフルな色の組み合わせと流動的な形に特徴があります。
美術館:カルーセル02:4枚目

ペルシャン

1986年~ アメリカ
デイル・チフーリ
「新しい形態の追求」から始まったこのシリーズは、個々の独特なフォルムだけでなく、その作品が空間にどう働きかけるかということにも観点がおかれ、それぞれ違った大きさと形を持ったピースを全体で一つの作品として展示するというスケールの大きなシリーズに発展しました。

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