Blog 箱根ガラスの森美術館ブログ
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犬を抱く少年像香水瓶
(1745~50年頃│ドイツ│マイセン窯)
13世紀末、ヴェネチアの商人マルコポーロが、ヨーロッパに紹介して以来、白磁は人々の羨望の的となりました。
ヨーロッパではじめて白磁の生産に成功するのは、1709年の事。ザクセン選帝侯お抱えの錬金術師、ヨハン・ベットガーが、白磁の原料である良質のカオリンを発見したことに始まります。翌年、王立ザクセン磁器工場が設立。その後ドレスデンからマイセンの地に窯が移され、ドイツの名窯マイセンが誕生しました。
1731年からマイセンの製作に携わった彫刻家ケンドラーは、ヨーロッパで流行していたロココ趣味を取り入れた人物像などを手掛けました。その緻密さや、発色の美しさ、表現力の豊かさは他の追随を許さない完成度を誇りました。この犬を抱く少年像香水瓶も、少年の表情や犬の毛なみ、洋服の花模様を繊細に描いた、ロココ様式の作品です。
踊る男女像香水瓶
(1751~54年頃│イギリス│ガール・イン・ア・スイング窯)
18世紀初頭、ドイツで白磁が発明されると、その製法は広くヨーロッパ諸国へ伝わっていきました。ザクセン公国の大使の協力を得て、1743年にはイギリスで最初の磁器工場、チェルシー窯が設立されます。
チェルシー窯や続くガール・イン・ア・スイング窯では、18世紀中頃より、この踊る男女像香水瓶のような繊細で愛らしい磁器製香水瓶が、多数作られました。
そのモチーフはギリシャ神話や異国趣味を表したもの、草花や動物を象ったもの、ブーシェやワトーのロココ調絵画にみられるような貴族・貴婦人の優雅な世界など多岐に渡りました。瓶の模様には、香水の香りを連想させるかのようにバラの花などがあしらわれ、一つ一つが職人の手作りで生み出されます。
長年ヨーロッパの人々が憧れていた貴重な白磁の香水瓶に、高価な香水を入れて楽しむことは、18世紀の貴婦人たちの至高の喜びであったと言えるでしょう。
瑪瑙香水瓶
(ロシア│18世紀後半)
ロシアの女帝、エカテリーナ2世のために作られたといわれる瑪瑙製の香水瓶。こちらの香水瓶には三か所、磁器製の蝶を象った栓の付いた口があり、それぞれ別の香水を入れることができるように作られています。瓶全体はロココ調に金で装飾され、縞瑪瑙の模様の美しさを一層引き立てています。
古代より宝石は装飾品として富の象徴であり、また神秘的な力が宿るものと信じられていました。この香水瓶に使用される縞瑪瑙は、魔除けの効果のほか、愛や信頼の力をもたらすと考えられていました。香水瓶の中央には「あなたの愛は私だけの至福を生む」という意味の銘文が七宝で刻まれています。
ドイツからロシアへと嫁ぎ、その後女帝としてロマノフ王朝の栄華を築いたエカテリーナ2世。この香水瓶には彼女の愛した香水が注がれ、香りに包まれた至福のひと時を過ごしたのかもしれません。
コア・グラス双耳香油瓶
(紀元前2世紀~紀元前1世紀│東地中海沿岸域)
吹きガラス技法が発明される紀元前1世紀より前、古代エジプトでは、コアと呼ばれる耐火粘土を芯にして、熔けたガラスを巻き付ける、コア・グラスと呼ばれる手間のかかる方法でガラス器が作られていました。ガラスはラピスラズリや瑪瑙などの天然の貴石のような色と模様を表現することができたため、貴石と同様、神秘的な力が宿ると考えられました。そして貴重なコア・グラスの器には、花や乳香、没薬の香りを移した香油を入れて、使用したと言われています。
古代エジプトでは、香りは化粧や宴席の場で使用されるだけではなく、邪悪なものを遠ざけ、神を呼び覚ます力があると信じられ、薫香として煙とともに神や死者にも捧げられました。
グース・ネック形バラ水散水瓶
(18~19世紀 ペルシャ)
首の長い水鳥を思わせるこのガラス瓶は、バラ水を空間に散布するために使用されました。湾曲した特徴的な首と口は、バラ水を散布するために工夫された形状です。
香り豊かなバラ水は、10世紀頃のイランで蒸留技術の発達とともに誕生します。バラの精油とともに生み出されたバラ水は、アジアをはじめ、ヨーロッパにも伝わりました。
散水瓶に入れられたバラ水は室内や衣服に散布され、バラの香りが漂う空間を演出するために使用されました。ヨーロッパ各地に広まったバラ水は、その後地域ごとの特色ある様々な散水瓶に入れられ、ヨーロッパ社会における香水に対する嗜好を高めました。
カメオ・グラス朝顔文香水瓶
(1870年頃│イギリス│トーマス・ウェッブ&アンドサンズ社)
何層もの色ガラスを重ね、表面にカメオ彫刻を施したガラス製香水瓶です。
カメオのような彫刻が施されたガラス器は、すでに古代ローマ帝国時代に制作されており、現在、大英博物館に収蔵されている「ポートランドの壺」は古代カメオ・グラスの名品として知られています。
1790年、ウェッジウッドが、その代名詞となるジャスパーウェアでこの名品を複製した事をきっかけに、カメオ・グラスのリバイバルが始まりました。
トーマス・ウェッブ&サンズ社はイギリスを代表するガラス工房の一つで、時代の流行に合わせ、新古典様式のモチーフや、ジャポニスム、アール・ヌーヴォー調の作品など、優れたガラス製品を多数制作していました。この朝顔文の香水瓶は、アール・ヌーヴォー期に制作された、トーマス・ウェッブ&サンズ社の香水瓶の一つです。
月光色エナメル彩香水瓶
(1890年頃│フランス│エミール・ガレ)
淡い青色のガラス地にエナメル彩によって草花文とトンボが描かれた香水瓶。エミール・ガレが「月光色ガラス」と命名したこのガラスは、酸化コバルトを発色剤として使用。1878年のパリ万博では、それまでにない新しい色彩が称賛されました。
この香水瓶が制作された19世紀後半のヨーロッパでは、万国博覧会などで日本の文化が紹介され、ジャポニスムと呼ばれる空前の日本美術の流行が巻き起こりました。この時期、ヨーロッパ中の多くの作家や工房が、日本趣味の作品を制作する中、陶磁器製造などで東洋の工芸に造詣が深かったガレも、日本のデザインを取り入れた作品を数多く手がけました。そして後に、草花や昆虫など、自然のモチーフをデザインに取り入れたアール・ヌーヴォーのガラス作品を発表し、ガラス工芸史にその名を刻みました。
「リンゴの花咲く木」香水瓶
(1919年│フランス│ルネ・ラリック)
1920年代に入り、曲線的で有機的なデザインのアール・ヌーヴォーに代わって、幾何学的で単純なデザインの作品が生み出されるようになりました。その流れは1925年のパリ万博で決定的となり、後にアール・デコと呼ばれるようになります。
1919年に制作された、ルネ・ラリックの、リンゴの花咲く木香水瓶は、馬蹄形の蓋の形状や、瓶の波文様にアール・デコの特徴が見られる一方、蓋にはアール・ヌーヴォーの名残ともいえるリンゴの花といった植物がモチーフとして使用され、流行の転換期を象徴するような作品です。
化学合成による人工香料の登場により、より多くの人々が香水を手にすることができるようになった20世紀。ラリックのデザインした香水瓶も、機械によるプレス成型が用いられ、量産化が図られるようになりました。香水と香水瓶は、一握りの人だけの贅沢品から、誰もが手にできるものに変わっていきました。
ラスター彩香水瓶
(1924年頃│ボヘミア│レッツ工房)
金属のような光沢を放つこの香水瓶は、ガラスの表面に金属酸化物を吹き付けるラスター彩と呼ばれる技法で着色されています。
ラスター彩ガラスは、風化して虹色に輝くようになった古代ガラスに着想を得た、アメリカのルイス・カムフォート・ティファニーが発明しました。その後、ボヘミアのレッツ工房は、「フェノメーン」と呼ばれる独自のラスター彩ガラスを制作、1900年のパリ万博でグランプリを獲得しました。
シンプルでエキゾチックな雰囲気を感じさせるこの香水瓶は、アール・デコの流行期に制作されました。蓋の左右にはアトマイザーチューブの取り付け口と、噴霧口こうがあり、当時の最新技術を生かした新たな時代の香水瓶となっています。
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