水上都市のカーニバルに見るヴェネチアン・グラスの美

~2020年仮面祭企画展~
カーニバルを表現したガラスの人形と
色鮮やかなヴェネチアン・グラスとの競演をお楽しみください。
 

水上都市のカーニバルに見るヴェネチアン・グラスの美
会期:2019年12月27日(金)~2020年4月3日(金)

写真:坪谷隆「希望」
写真:坪谷隆「希望」

世界三大カーニバルの一つであるヴェネチアン・カーニバルでは、仮面をつけて仮装した人々が行き交い、現在でも幻想的な光景を醸し出しています。
文化が爛熟期を迎えた18世紀のヴェネチアは、ヨーロッパ諸国の人々にとって憧れの地でした。ルノアールやゲーテなど、多くの文化人も引きつけられ、滞在しています。音楽家ヴィヴァルディや劇作家ゴルドーニの活躍は、約半年も続いた絶頂期のカーニバルに一層の花を添え、大勢の人が歓楽と饗宴を楽しみました。
地中海世界の覇者として君臨したヴェネチア共和国で活躍するガラス職人たちは、イスラム文化圏から伝わったエナメル彩を発展させた他、白磁を模した乳白ガラスや糸を編みこんだようなレース・グラスなど独自の技法を開発します。王侯貴族を魅了した高級ガラス製品の生産と輸出は国策として推進され、ヨーロッパ中のガラス工芸に多大な影響を与えました。
本企画展では、ヴェネチア伝統の仮面劇「コメディア・デラルテ」の登場人物を表現したガラス人形、異文化の影響を受け、生み出された多様なガラス技法、春の訪れを待つカーニバルに相応しい華やかな装飾を施したガラス作品などを通して、東西の文化の交わる水上都市ヴェネチアが生んだカーニバルの文化と熱気をご紹介致します。

1.海原を越えて

13世紀から14世紀、海上交易の要所として地中海世界に君臨したヴェネチア共和国では、政治経済的な急成長と共に、産業も飛躍的な発展を遂げます。ヴェネチア・ムラーノ島のガラス産業も例外ではなく、古代ローマ帝国崩壊以後、ガラス技術を引き継いだイスラム圏やビザンチン帝国のガラスから影響を受けて発達していきました。
イスラム・グラスの彩色技法から取り入れられたエナメル彩によって着色されたガラス器や、盛んに輸入されていた中国磁器を模して制作された乳白色ガラス(ラッティモ)が人気を博します。
次第に独自の技法も生まれ、門外不出の秘法として大切にされたレース・グラスを始め、数種類の色ガラス片を溶かし合わせて作るマーブル・グラス技法などのガラス工芸品がヨーロッパを席巻しました。
国策として推進された高級ガラス工芸品の生産と輸出は、ヨーロッパのガラス市場の独占にまで至ります。異文化の影響を受けて発達したヴェネチアン・グラスは、ヨーロッパ中のガラス工芸に多大な影響を与えるようになったのです。

点彩扁瓶

点彩扁瓶

16世紀 ヴェネチア
花弁文コンポート

花弁文コンポート

16世紀 ヴェネチア
レース・グラス玉脚コンポート

レース・グラス玉脚コンポート

16世紀末‐17世紀初 ヴェネチア
アヴェンチュリン・マーブル・グラス碗

アヴェンチュリン・マーブル・グラス碗

1668年 ヴェネチア

2.迷宮に会する

仮装の歴史が12世紀に遡るといわれるヴェネチアでは、男性は動物の毛皮を被って変装し、町を行進していたといわれており、15世紀には、仮面職人という身分規定が成立していました。1496年から1533年にかけてヴェネチアの貴族マリン・サヌート(Marin Sanuto)が残した日記にも、ドージェ(元首)や海軍司令官といった有力貴族たちの服装を真似た仮装を楽しむ民衆の様子を記しています。「マスク(masks)」の語源が「嘲り笑い」や道化師を意味するアラビア語「マスハラ(mashara)」に由来すると考えられているように、仮装によってヴェネチアの政治に携わる有力者たちを風刺しているのです。
身分や階級の違いが服装や生活様式によって明示され、厳密に規定されるといった日常生活の厳しい現実があったからこそ、カーニバルの期間は仮面をつけることで階級差を無効にし、身分を隠したままの付き合いを可能にしました。仮面をつけることでもたらされる「秩序の逆転」は、別人となってその役割を演じることで、制約やしがらみからの解放を意味していたのです。
仮面劇「コメディア・デラルテ」シリーズ

仮面劇「コメディア・デラルテ」シリーズ


 

3.春を望む

「カーニバル(謝肉祭)」とは、キリストの苦痛を追体験し、自己を浄化する四旬節を前に、歓楽と饗宴を楽しんだ期間です。16世紀には、復活祭を控えた四旬節に肉を売った肉屋は死刑といった法令が出るほど厳しく、その反面、カーニバルの間は俗世の快楽を存分に享受する事が出来たのです。
カーニバルの起源は、古代ギリシアのディオニュソス祭だといわれています。この祭りは、葡萄酒と豊饒、陶酔の神であるディオニュソスを祭り、巫女の女性たちが狂乱の内に飲み騒ぐものでした。古代ローマでは、大地を司る農耕神サトゥルヌスを宥め、春の再生を祝うサトゥルナリア祭として引き継がれます。キリスト教化の際に、四旬節前のカーニバルとして移動されました。キリストの死と復活を記念する時期に行なうカーニバルは、冬の死と春の再生という意味もあったのです。
春に芽吹く植物は、誕生や豊饒の象徴でもあります。ヴェネチアン・グラスに見る事が出来る華美な植物の装飾は、17世紀から19世紀に流行しました。後のテーブル・グラスの原型が出来始める一方、器形の意匠はより複雑化し、坏部や脚部(ステム)には誇張された装飾が施されたのです。

バラ装飾脚ワイングラス

バラ装飾脚ワイングラス

19世紀 ヴェネチア
花装飾脚オパールセント・グラス・ゴブレット

花装飾脚オパールセント・グラス・ゴブレット

1880年頃 ヴェネチア
写真:坪谷隆「ヴィーナス誕生」

写真:坪谷隆「ヴィーナス誕生」

坪谷 隆が撮る
「華麗なるヴェネチア カーニバル」
ごあいさつ

水の都ヴェネチア。16世紀から変わらぬ街並みはその悠久のときを今に伝えています。毎年2月には、迷路のような街を彩るカーニバルが行なわれ、参加者は舞台の役者さながらに思い思いの衣装に身を包み、サン・マルコ広場に集います。
仮面やフェイスペインティングに隠されて、素顔をうかがい知ることはできませんが、大人だけでなく小さな子供からもこのカーニバルに参加する喜びと、熱気がカメラのファインダー越しに伝わってきました。
本場のヴェネチア カーニバルの空気、時間、そして情熱をこれらの写真を通して、日本の皆様にも感じ取って頂けましたら幸いです。
坪谷 隆(写真家)TAKASHI TSUBOYA
坪谷 隆(写真家)TAKASHI TSUBOYA
1949年 東京生まれ

学生時代より写真に興味を覚え卒業後、単身渡米New Yorkで(CFプロデュ-サー兼アートディレクター、写真家)のジョージ ナカノ、後にヴォーグ誌,ハーパースバザー誌、マリークレール誌等で活躍していた写真家のブルース ローレンスの両氏に師事。4年間のNewYork滞在後、1976年帰国。
翌年、月刊コマーシャルフォト誌(玄光社)の特集“若手海外体験派カメラマン”として表紙写真と体験記事が掲載された。後に大手アパレルメーカー、化粧品会社、雑誌広告等幅広い企業から撮影依頼をうけ現在にいたる。

関連イベント

ヴェネチア仮面祭

ヴェネチア仮面祭は世界三大カーニバルのひとつ、世界の人々が集まりいつもと違う自分を楽しみます。
箱根ガラスの森美術館では本場ヴェネチアで作られた仮面やマントを身につけて記念撮影などをお楽しみ頂けます。

ヴェネチア仮面作成工房

世界に一つだけのオリジナル仮面
無地の仮面と模様をお選びいただきオリジナル仮面をお作りいただけます。

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